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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)3789号 判決 1960年1月26日

原告 榎本勢津子

被告 株式会社木村屋総本店

主文

被告は原告に対し二〇万円を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分しその一を被告のその余を原告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し二〇〇万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

(一)  原告は昭和二七年九月被告会社に雇われ、東京都新宿区百人町一丁目二四番地所在の被告会社新宿工場に洋菓子製造工として勤務していたものである。

(二)  昭和二九年四月一四日、原告はその所属する洋菓子製造部の組長小見うた子から、明日は休むのでピーナツツクツキーを作るための準備としてピーナツツの粉砕をする様頼まれたため、翌一五日、原告はこれを実行すべく同工場に設置されていた「アイシングーロー」と呼ばれる機械の操作をはじめたところ、ローラーに左手をまきこまれて負傷し、昭和二九年四月一五日から同年六月一六日まで東京医科大学病院に入院加療を受けたが左手拇指を除く四指を根元から切断する結果となつた。

(三)  然し右の事故は被告会社側に於てなすべき安全設備及び安全教育を怠つたため生じた事故である。即ち、

(イ)、右機械は井上製作所作製にかかり、三箇のローラーより成る電動装置のものであつて、同工場に右事故より約三年前に据えつけられ、ピーナツツ粉砕等に使用されて来たものであるが、これには制動装置はなく又スイツチも手の届かぬところにあり、機械の操作上危険が予想されるものであるから、年少労働者を多数雇傭している被告会社にあつては、スイツチを手近かの場所に取付けて、被害者が直ちに電気を切れるようにし、かつ、制動装置その他の災害予防設備をなすべきものであつて、その設備をなさなかつたのは被告会社代表者、然らずんば同会社新宿工場長伊藤三喜男の過失といわねばならない。

(ロ)、「アイシングローラー」の操作はその性能構造から考え、災害の起きる可能性があるから、事故防止のため被告会社代表者、そうでないとすれば新宿工場長伊藤三喜男組長小見うた子等上司に於て原告に対し機械操作について安全教育をなすべき義務があるといわねばならない。例えばローラーを拭く場合には内廻りするローラーの上部を拭かず、下部を拭くように教え込んであれば、本件事故は起らなかつたであらうと推測されるのに、原告に対し全然安全教育を施さなかつたため、不幸にも本件事故が起きたものである。

よつて民法第四四条又は同法第七一五条により被告会社は原告が蒙つた損害を賠償する義務がある。

(四)、原告は中学校卒業後被告会社の右工場に勤務し、事故当時一七歳の未婚の少女であり、左手四指を失つたことにより洗濯、針仕事等なし得ざるに至り、又結婚への希望も消え、前途への光明を失い、その受けた精神的打撃は計り知れないものがある。一方被告会社は我国における一流の菓子製造会社であつて、その名は古くから全国に知れ亘り、資産も莫大である。本件の如き事故に際しては、被告会社としては誠意をもつて事に当り、相当の賠償をなすべきものであるにも拘らず、今までにわずか五〇〇〇円の見舞金を原告に支払つたに止まる。

(五)、よつて被告会社に対し、原告の蒙つた精神的損害の慰藉料として二〇〇万円の支払を求める、

と述べ、被告の抗弁に対し、

原告が被告主張の如き補償金を受領したこと、被告会社の社則及び給与規定に被告主張の如き条項のあることは認めるが、右は被告会社の原告に対する民法上の慰藉料支払義務を免れしむるものではない。

と述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

(1)、原告が昭和二七年九月から被告会社に雇われ被告会社新宿工場で洋菓子製造工として勤務していること、昭和二九年四月一五日、原告が右工場に設置されていたアイシングローラーを操作中原告主張の如き負傷を受け、左手四指を失うに至つたこと、右機械が井上製作所の作製にかかり、三箇のローラーから成る電動装置のものであつて右工場に約三年前に据えつけられピーナツツ粉砕等に使用されていたこと、この機械には制動装置がないこと、原告が中学校卒業後被告会社に勤務し、右事故当時一七歳の未婚の少女であつたこと、被告会社が一流の菓子製造会社であること、原告に対し見舞金として五〇〇〇円を贈つたことは何れも認めるがその余の事実は否認する、

(2)、右機械は三箇のローラーの接触部にピーナツツその他の固形物をはさみ、これを粉砕するに用いるものでその構造は簡単で操作も容易であり、かつ回転速度も高速でないため制動装置はつける必要もなく、スイツチも手の届く適当の位置にある。右機械設置に当つては、所轄監督署の正規の検査を受けて合格しているものであつて機械自体に不備はない。

(3)、本件機械は原則として男工員が使うことになつており、忙しい時には場合によつては小見うた子が手伝つたこともあるが、原告は小見うた子を組長とする組員一一名より成るクツキー部のー員であつて右機械を担当するものではなく、本件事故は原告の担当する仕事とは無関係に発生したものである。本件事故当日も原告は殆んど終日本件機械を据付けてある室から二つ離れた室で他の組員と共にミキサーの仕事をしていたもので、当日の仕事が大体終りに近づいた頃、他の者の知らぬ間に原告はローラー室に一人で入り、自発的に自分の担当外であるローラーの掃除にかかり、本件事故を惹さ起したものである。原告は被告会社代表者等が安全教育を怠つた旨主張するが、右のとおり、原告は本件機械の担当者ではないから、被告会社代表者等は原告に対して安全教育を施すべき義務はない。従つて被告会社は本件事故により原告が蒙つた損害については賠償する義務はない。

と述べ、仮定抗弁として、

被告会社は労働者災害補償保険法に基く保険に加入しており、原告は本件災害により、同法に基き、

一、療養補償 二五、四〇〇円

二、左手義手二本 代金 一五、五〇〇円

三、障害補償 一二一、五二〇円

を受け、更に被告会社は労働基準法第七六条に基く休業補償として二万八八三九円を原告に対して直接支給した。

ところで被告会社の就業規則である株式会社木村屋総本店社則及び給与規定は、作成当時従業員総数二四二名の中二三九名の同意を得て作られ、昭和二六年六月二二日中央労働基準監督署長に届出済のもので、この規則は会社、従業員双方を拘束するものである。而して右社則第六九条には、「災害補償に関しては労働基準法による。」と定められており、前記のとおり、右補償は原告に支給済であり、その他に被告において災害補償をなすべき義務はなく、又給与規定第二一条「社員が火災水害其他不慮の災害にかかつたときは見舞金を支給する。金額、支給方法その他に関しては当時の事情によりその都度決定する。」に基き、見舞金として五〇〇〇円を支払つたことも前記のとおりである。従つて仮に被告会社において本件事故につき責任あるとするも、原告は右のとおり労働基準法及び労働者災害補償保険法に基く給付を受けているから、被告会社は労働基準法第八四条の規定により民法による損害賠償の義務を免れることになり、又前記被告会社の社則及び給与規定に基く給付も全額なされていることになり被告会社においてその余の賠償をなす義務はない。

と述べた。

証拠として原告訴訟代理人は証人松田行夫、同小見うた子、同榎本周吉、同榎本よし子、同東海林徳子の各証言、原告本人尋問の結果、検証の結果を援用し、乙号各証の成立を認め、被告訴訟代理人は、乙第一号証の一乃至四を提出し、証人伊藤三喜男、同小見うた子、同直井文子の各証言を援用した。

理由

原告が昭和二七年九月から被告会社に雇われ、被告会社新宿工場で洋菓子製造工として勤務していること、昭和二九年四月一五日、原告が右工場に設置されてあつたアイシングローラーと呼ばれる機械を操作中、左手をローラーに捲きこまれて負傷し、医師の加療を受けたが、右負傷の結果左手拇指を除く四指を根本から切断したことは当事者間に争いがない。

なおアイシングローラーの構造性能が別紙図面の通りであることは、検証の結果によつて明らかである。ところで本件事故は原告がスイツチを入れてアイシングローラーを廻転させながら、雑巾でローラー面を拭いている時、雑巾が手前の二本のローラー(別紙図面ABのローラー)に捲きこまれたため同時に左手が捲きこまれたものであることは、原告本人尋問の結果により明らかであるが、ローラーのどの部分を拭いているときに雑巾が捲きこまれたかは詳らかでない。しかし、右の原告本人尋問の結果とアイシングローラーの前記性能構造から判断すると、内廻りする二個のローラーの上部か上部内側を拭いているときに捲きこまれたものであろうと推断される。

従つて原告が慎重に行動すれば本件事故は起きなかつた筈であり、原告の軽卒さが事故の原因をなしていることは否定できないけれども、それでは被告に全然落度がなかつたであろうか。

原告は先づ安全設備の不備を主張する。前にも触れた通り検証の結果によると、別紙図面の三個のローラー中ABは互に内側に、BCは互いに外側に、速度は一分間Aは一五回、Bは三五回、Cは一〇〇回の割合で、回転する。ところでスイツチを切つて電源を切断した場合各ローラーは直ちには停止せず、Aは約四回回転を続けB、CもAに比列した回数の回転を続け、電線切断後Aが約二回転する間はその回転速度に顕著な減少は認められない。又回転の途中AB間に人間の指の厚さをもつ堅くない物体を挿入し直ちに電源を切つた場合、AB間の間隙--操作によつて多少の移動が可能である--がやゝ広い場合には右物体を圧迫しながらもローラーは回転を続け、物体はABの間を抜けて下に落ち、AB間の間隙が狭い場合はローラーは物体を中途に挟んだまま停止し、而して挟まれた物体は容易に引き抜くことができない。以上の事実が認められ、これによつて判断すると、ABのローラーに手を挟まれた場合、仮に同時に電源を切つたとしてもローラーの回転は直ちに止まらず、惰性で回転し指の根元の部分までローラーによつて圧し漬されるのではないかと考えられる。尤も手を捲きこまれた場合ローラーが数秒後に止るのと、なお数十秒回転し続けるのとでは自ら負傷の程度も異るであろうと想像されるが、具体的にその差異を判定すべき資料のない本件にあつては、前記の理由から事故と同時にスイツチを切れば本件の負傷が避けられたと認める訳に行かないから、スイツチが手の届くところになかつたことを以て本件負傷の原因とする原告の主張は採用できない。

次に本件機械に制動装置のないことは当事者間に争いがないところであるが、証人伊藤三喜男の証言によると本件アイシングローラーは所轄労働基準監督署の安全装置についての検査に合格したものであり、所謂低速機械の部類に属し、この種のものには制動装置のないのが普通であることが認められるので、これを以て安全設備として責めるのは当らないと考えられる。

更に本件の如き事故の防止のためには、AB各ローラーの接触部分に手が届かぬ様に何らかの障害物を設ける事等も考えられるが、証人伊藤三喜男の証言によるとかかる場合は反面右機械の使用に際して作業の妨げともなる場合が生じ、却て事故を起したことがあるので、結局ほかに本件機械に代るべき安全な機械が存在し、これを使用することが可能な場合は格別、(かような機械のあることは原告の主張立証しないところである)然らずして本件機械を使用する限り、設備の上での瑕疵を以て本件事故の原因となすことを得ず、災害防止のためには、機械の取扱に注意を払う外はないものと認められる。

次に原告主張の安全教育について、被告は原告がアイシングローラーの担当者ではないから同人に、安全教育を実施する要がないと争うので、先づこの点を調べると証人松田行夫、同直井文子同東海林徳子、同伊藤三喜男の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は被告会社に入社当時から同会社新宿工場のクツキー部に所属し、クツキーの製造工の一員として働いていたが、クツキー部員は全部女工で時期的に多少の変動はあつたが、原告を含め、一〇名内外であり、本件事故当時は一一名であつた。而して右クツキー部の責任者は小見うた子であつて組長と呼ばれ、同人以外は特段の肩書を有せず、仕事の内容も同様であつた。しかしながら、原告はクツキー部においては右小見うた子に次いで古参であつたため、小見が不在の場合は通常同人に代つて組長の仕事を引受けていた。ところでクツキー部で製造する洋菓子の一つであるピーナツツクツキーの製造に必要なピーナツツを粉砕するためには、本件機械が使われ、これは設置された当初は工場長である伊藤三喜男が直接、或いは同人から指導を受けた男工員が操作に当り、女工員がこれを手伝う等の方法で四回位使用されていたが、クツキー部組長小見うた子が工場長伊藤三喜男から操作法の指導を受けてからは男工の手を借りずに、小見うた子が自ら操作し原告らクツキー部女工がこれを手伝うように変り、二、三回アイシングローラーを使つた。この機械は操作も単純で特別の技術を要するものでないから、女子がこれを使うことを禁じられておらず、必要な場合誰でも使つて構わないことになつていた。以上の事実が認められ、これから判断すると、ピーナツツ粉砕の作業は本件事故発生の頃はクツキー部に所属する女工員の仕事の一部とされていたものと考えられ、従つて組長小見うた子が休むような場合原告が、右機械を操作することはその担当する仕事に含まれていたものと認めるを相当とする。更に前記証拠を綜合するとクツキー部では組長である小見うた子によつて仕事の予定が原告等組員に伝えられるのが例であつたが、昭和二九年四月一四日、小見は翌一五日は休むので原告その他の組員に対し、翌日の予定及び一六日朝にはピーナツツクツキーとチヨコレートクツキーを作る旨伝えておいた。而して午前中にピーナツツクツキーを製造する場合は前日中に粉砕したピーナツツを用意しておくのが、それ迄のならわしであつたので翌一五日、当日の仕事が大体終りに近づいた午後四時頃、原告はその翌日のピーナツツクツキー製造に必要なピーナツツ粉砕の仕事にとりかかるため本件機械の設置されている室に一人で赴き、見たところ、ローラーが濡れており、そのままではピーナツツ紛砕に取りかかることができない状態であつたため、スイツチを入れこれを雑巾で拭きにかかつたところ、前記の通り過つて雑巾をローラーの間に挟みこみ、更にこれを持つていた左手をも捲きまれ、本件事故となつたものである。以上の事実が認められるのであつて、ピーナツツの粉砕が前記のとおり原告及びクツキー部に属する女工員の仕事と認められる以上、殊に小見の不在中のクツキー部の事実上の責任者であつた原告が、その準備のために右掃除をなしたのはその仕事の範囲を逸脱したものとはいえず、むしろ、原告としてはその責任上なすべきことをなしたものというべきである。

原告にして、右の如き立場にあつたものとすれば、被告会社側としては当時一七才で機械について知識経験が充分とは到底認められぬ原告に対し右機械操作上の安全教育例えば清掃法についてはローラーを雑巾で拭く場合、ローラーの上部や内廻りする面を避け、別紙図面Aのローラーなら下部で、Bのローラーなら上部より外側で拭くとか、或は柄のついた雑巾を用いるとか指導し、以て災害予防のため具体的注意事項を教え込むことは条理上当然の義務というべきである。尤も右のような注意事項は他人から言われなくとも考えつきうることであろうが、多少の危険を伴う程度であれば、手つとり早い方法を採りたがるのは一般の傾向で(右に述べた清掃法は安全だが、やや面倒な仕方であることは説明を俟たず明らかであろう)あるから、さようなことにならぬためにも、安全教育を実施すべきもので、原告らの注意力にのみ頼つて放任すべきではあるまい。ところが被告会社側にあつては誰かが原告に対し安全教育を施した事実を認むべき証拠がない。而して若し原告がさような教育を受けておれば、これに従つたであろうから本件事故も起きずに済んだであろうと推測される。而して証人松田行夫同伊藤三喜男の各証言によると、被告の会社では安全教育に関する社則があつて、新宿工場におけるその実施責任者は同工場長伊藤三喜男であることが窺われるところ、同工場長が原告に対し何ら災害予防のため安全教育をなさなかつた怠慢について、被告において被傭者たる右伊藤の選任監督につき相当の注意をなした事についての主張立証のない本件(安全教育についての社則が作られているだけでは、相当の注意をしたと認められない)においては原告の蒙つた損害について、原告の不注意にのみ責任を負わせず、被告に於てもその損害の一端を賠償すべき責任があるものといわねばならない。

そこで進んで原告の蒙つた精神的損害の額について考えてみるに、前記傷害の程度、原告の年令、境遇その他当事者双方の社会的経済的地位原告が後記労働者災害補償の給付を受けた事実、被告より見舞金として五千円を贈つた事実、治療後引続き原告が被告の会社に勤務している事実等諸般の事情を考慮して二〇万円をもつて相当と思料する。

なお被告は本件事故により原告に対し、労働者災害補償保険法による災害補償の給付がなされ又労働基準法による休業補償を支払い、更に社則に従い見舞金として五〇〇〇円を支払つたから、被告は所定の義務を凡て履行した旨主張し右金員を受領したことは原告の認めるところであるが、労働者災害補償保険法による保険給付及び労働基準法による災害補償は財産上の損害の填補に資せんとするものであつて、精神上の苦痛に対する慰藉までをも目的とするものではないから、右給付を受領した場合にあつてもなお慰藉料の請求をすることができるものというべきである。而して、被告が原告に支払つた見舞金五〇〇〇円は慰藉料の性質を有するものと認むべきであるけれども、該社則は就業規則であるにせよ、災害の場合会社より従業員に対し見舞金を支給し、慰藉料を支給すべきことを定めただけであつて、その額の決定を被告に一任し、従業員はそれ以上何ら請求しない事を定めた趣旨であると解すべき資料は見当らないから、この点に関する被告の抗弁は採用できない。

よつて原告の本訴請求中二〇万円の慰藉料の支払を求める部分を正当として認容すべく、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 室伏壮一郎 石井敬二郎 和田啓一)

機械正面図<省略>

機械平面図<省略>

ロール 回転数と回転方向参考図<省略>

性能諸元表<省略>

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